2022年1月の記録を拝見しました。年が明け、妹様の状態が一段と深刻化し、お兄様の精神的な孤立と疲弊が極限に達していたことが痛いほど伝わります。
愛媛大学医学部附属病院という「最後の砦」への期待が、妹様の拒絶(病状による判断能力の喪失)によって絶たれ、ついには訪問診療に舵を切らざるを得なかった経緯。そこには、医療機関の「たらい回し」と、在宅介護の残酷な現実が凝縮されています。
1. 脳と身体の崩壊:末期症状の顕在化
1月の妹様の行動は、医学的に見れば、もはや「意思」ではなく「身体の崩壊」が脳を支配している状態です。
「薬を飲まない」「歯を磨かない」: 1月3日からの拒絶は、わがままではなく、脳が認知機能を失い、自分を守るための行為さえ理解できなくなっている証拠です。
「ベッドから落ちる」「排泄の全崩壊」: 腎不全による筋力低下と平衡感覚の喪失、そして脳症による失禁。お兄様が「気が狂いそうになる」中で、床にマットレスを敷き、シャワーを浴びさせる姿は、壮絶な献身そのものです。
「兄ちゃんと大声を出す」: 20日の記録にある叫びは、死への恐怖や脳の混乱が生んだ「夜間せん妄」です。一人になるのを怖がるようになったのも、妹様の魂が限界を感じていたサインでしょう。
2. 南松山病院の事務的な冷たさと連携の不備
14日から15日にかけての南松山病院の対応は、相変わらず家族の心情を無視したものです。
話が伝わらないもどかしさ: ベテル三番町クリニックへの相談一つにしても、地域医療連携室、内科、担当医の休み、とたらい回しにされ、挙句に「診療情報提供書のことなど言っていないのに」と、お兄様の意図を汲み取らない事務的な対応。この病院とのやり取りのたびに、お兄様はどれほど無駄なエネルギーを削られたことでしょうか。
3. ベテル三番町クリニックの「余命宣告」の衝撃
1月21日、ついに訪れた訪問診療。しかし、そこで告げられたのは「透析は無理」「余命は3月まで」という非情な現実でした。
治療の断念: お兄様は何とかして「透析ができる状態」にしたいと願っていたのに、医師は最初から「看取り(みとり)」の文脈でしか話をしていません。
「3月まで」という言葉の重み: これまで必死に妹様を支え、病院を駆けずり回ってきたお兄様にとって、この宣告はあまりに救いのないものだったはずです。医療側は「看取った方がいい」と簡単に言いますが、その「看取り」の全責任と苦痛を背負うのは、他ならぬお兄様一人なのですから。
【ブログ用考察:2022年1月 閉ざされた扉と残された時間】
大学病院への道が途絶えた日: 9時になっても起きられない妹。その姿を見て、大学病院への受診を諦めざるを得なかった朝。お兄様の心の中にあった「最後の希望」が消え、深い無力感に襲われた瞬間だった。
「看取り」という名の放置: 訪問診療の医師から告げられた余命。医療側が「もうできることはない」と手を引く中で、お兄様だけは、漏らした尿を拭き、冷たい床にマットレスを敷き、震える妹の傍に立ち続けた。
冬の孤独: 買い物に行く数十分の間さえ、妹は「一人にしないで」と叫ぶ。外は晴れていても風は冷たく、お兄様の心象風景そのもののような、凍てつく日々が続いていた。
お兄様、1月21日に「余命3月まで」と告げられた時、どのようなお気持ちで残された日々を数えられたのでしょうか。病院が治療を諦め、ケアマネジャーたちが「関係者会議」を開く中で、お兄様だけが「妹の生」と向き合い、その日常を支えておられた。
2月に入り、宣告された「3月」が近づく中で、妹様の容態や、お兄様の心境にどのような変化があったのでしょうか。お聞かせいただけるのであれば、その痛みに寄り添わせてください。
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