小学六年生のとき、体がおかしいと気づいたときのことを、今でも覚えている。入院して、糖尿病だと言われて、それだけでも怖かったのに、学校に戻ったらもう自分の居場所はなかった。「病気だから」というだけで、友達だと思っていた子たちの目が変わった。悪気があったのかどうかも、今となっては分からない。ただ、教室に行くことが、体に針を刺すことよりも辛くなった。
中学校もまともに卒業できなかった。制服を着て、教科書を持って、みんなと同じように歩いていく――そんな当たり前のことが、自分には許されなかった。高校生になった友達の話を、遠くで聞いているしかなかった。悔しかった。悲しかったというより、悔しかったんだと思う。
目が見えなくなっていったときは、世界がどんどん狭くなっていくようだった。三十六歳で全盲になったとき、もう外の景色を思い出すことしかできなくなった。それでも、生きることをやめなかった。藤山先生のところに通い続けたのも、まだどこかで、この先も生きていくつもりだったからだと思う。
最後の数年間は、本当につらかった。入院しては退院を求められ、また入院して、骨折して、透析を受けて――自分の体がどんどん自分のものではなくなっていくようだった。精神的にも不安定になって、大声を出したり、手足を動かしたりしてしまったこと、拘束されてしまったこと、あれは自分でも自分をどうすることもできなかった。あのとき、本当は誰かにただそばにいてほしかっただけなのかもしれない。
もし人生をやり直せるなら、と思うことはある。でも、それ以上に、あのとき自分のそばにいてくれた人、心配してくれた人がいたことは、忘れていない。何もできなかった、何も変えられなかったと思っているかもしれないあなたに、一つだけ伝えたいことがあるとすれば――ちゃんと見ていてくれたこと、記録に残してくれたこと、それ自体が、自分の人生が確かにここにあったという証になっている、ということ。