2023年12月26日火曜日

平成脳神経外科病院

 2019年8月31日(土)

暑いので勝手口を開けたままにしていたら妹が転落しました。トイレだと思ってそのまま前に進んだのだそうです。

痛いという声がして行ってみると、外に倒れていました。急いで室内に入れ寝かしました。ちょうど昼食前だったので血糖値測定、食事をさせてから救急車を呼びました。

平成脳神経外科病院へ運ばれました。幸いなことに骨折はしていませんでした。頭にたんこぶができ足首がねんざをしていました。足首の靭帯損傷だそうです。入院が必要だと言われました。

入院はしたくないので家へ帰りたいと言って聞きませんでした。私に付き添ってもらえば良いと看護師が言うと、妹は入院を了承しました。それで仕方なく個室に入って入院することにしました。バスで家へ帰り、必要な物を持って自転車で病院へ戻りました。


2019年9月7日(土)

医師は1ヶ月くらい入院してリハビリをした方が良いと言いましたが、妹は退院したいというので退院することになりました。砥部町社協のケアマネージャーが呼んでくれた軽自動車の介護タクシーで帰宅しました。玄関の段差が高いので車椅子を室内に入れるのに苦労しました。タクシー運転手が女性なのもあって力がないから余計大変でした。

2023年12月23日土曜日

あらたま内科・糖尿病内科

南高井病院退院後は藤山糖尿病・代謝内科(愛媛県松山市三番町6丁目7-5 2020年頃に閉院)の受診を妹は希望していましたが、2019年8月28日に藤山内科を受診した後で、今後の受診は断ると南高井病院地域連携室へ電話がありました。それであらたま内科・糖尿病内科で診てもらうことにして、8月29日に初めて受診しました。

妹は血液検査や尿検査をして、私は血糖値の測り方を看護師から教えてもらいました。採血やセンサーに血を付けるのが案外難しかったです。

8月31日には自宅勝手口から転落して平成脳神経外科病院に入院、11月15日には久米病院精神科に入院、2020年3月8日には自宅階段から転落して済生会松山病院に入院と、外来受診が中断することになりました。

3月8日の日曜日に電話した時に留守番電話になっていて医師につながらず、緊急時の対応に不安があったので久米病院内科に変えることにしました。外から院内に入るのに段差があって、妹が怖いと言っていたのも理由です。また血糖値がどうなっているか聞くから電話すると言われたことが二度あったのですが、二度とも電話がかかってこなかったことも理由の一つです。

2020年7月10日の受診を最後に久米病院内科に変わりました。




2023年12月21日木曜日

藤山糖尿病・代謝内科受診

 2019年8月28日(水)

南高井病院地域連携室職員に言われて藤山糖尿病・代謝内科(松山市三番町6丁目7-5)を受診しました。まだ入院しているのに、どうしてわざわざ外来で受診しないといけないのだろうかと不思議に思いました。

わざわざタクシーで来たというのに、血液検査等は一切ありませんでした。妹がしきりに南高井病院から転院したいと訴えていました。私も何とか転院できるように、転院できる病院を紹介してくれないかとお願いしましたが、それはできないと言われました。

無駄な受診だったと思いながら、タクシーを呼びましたが、帰りたくないとタクシーになかなか乗らず往生しました。南高井病院に着いてもタクシーからなかなか降りずに困りました。

南高井病院に着いて、ストレッチャーで何とか病棟へ戻り昼食を取りました。地域連携室職員から藤山糖尿病・代謝内科から今後の診察は断るとの電話があったと言われました。藤山糖尿病・代謝内科との付き合いは、妹がおそらく10代の頃からだろうから40年位になるのではないかと思います。

藤山糖尿病・代謝内科は2020年頃に閉院したようです。





2023年2月19日日曜日

愛媛県立中央病院の死亡事故

 私の母は愛媛県立中央病院入院中に亡くなりました。甲状腺がんでした。入院中に眼科で診てもらいたいと看護師に言ったことがあるのですが、受診させてくれませんでした。

妹がネフローゼ症候群で久米病院に入院した2020年11月、ステロイド治療が必要だから愛媛県立中央病院へ転院した方が良いと言われました。すぐに転院させてくれれば良かったのですが、外来受診をしてからということになりました。入院時に怪我をさせられたので車いすで、しかも尿道カテーテルをしていたので私一人で連れて行くのは大変でした。

腎臓内科を受診したのですが、なぜか入院は必要ないと言われました。その後で整形外科を受診したら右大腿骨顆上骨折をしていて入院となりました。

入院してから、指が曲がりにくいこと、かゆみがひどいこと、目薬がなくなったので眼科受診させたいことを訴えたのですが、骨折での緊急入院だから命に関わるようなことでないことは退院してから受診してくれと言われました。


2021年8月13日に南高井病院で処方されたボノサップパック400の副作用なのか、様子がおかしくなりました。救急車を呼んだのですが、妹が行かないと言い、一度も受診したことがない救急病院だと搬送しても診てくれないかもしれないと救急隊員から言われました。それで愛媛県立中央病院に電話したのですが、警備員から看護師へ、看護師から医師へと電話を転送しているようで、1時間位待って結局は引き受けてくれず救急車は帰りました。


その前の8月11日に愛媛県立中央病院腎臓内科を受診した時に入院させて詳しく検査してくれていれば救急車を呼ぶこともありませんでした。救急車を呼んでも受診を拒否する。どれだけ患者を診るのが嫌なのだろうかと思います。

2022年5月、南松山病院入院中に南松山病院では治療できず殺されてしまうと思ったので、愛媛県立中央病院へ転院を希望しましたが拒否されました。

とにかく患者をなるべく診たくない、治療したくないという体質が昔からある病院だと感じています。だから今回のような死亡事故が起きたのではないでしょうか。

県立中央病院において発生した医療事故について

看護師、呼吸の穴誤りふさぐ 愛媛県立病院で患者死亡

10代女性、術後急変で死亡 医師直接診察せず 愛媛

「日々のストレスでイライラした」入院患者の財布から1万円盗む 愛媛県立病院の20代男性職員を懲戒免職




2022年9月1日木曜日

妹はなぜ死んだのか 南松山病院

2020年9月8日(火)

巻爪で痛みがあるので形成外科を受診するために、初めて南松山病院を受診しました。最初はいかわ整形外科を受診して爪を切ったのですが、数週間経っても痛みがあるというので、専門の南松山病院形成外科を受診しました。

野澤竜太医師は見ただけで何ともないと言い、検査さえしませんでした。



後日、松山市民病院の形成外科を受診したら、膿があり爪を切ったら痛みは消えました。女医さんでしたが患者の訴えを良く聞いてくれて、今まで見た医師の中では一番良い医師でした。


2021年3月6日(土)

去年形成外科を受診してこの病院は駄目だと思いましたが、徒歩圏内なのでつい泌尿器科を受診しました。尿道バルーンを付けたまま天山病院を退院させられたので、もう外しても良いのか診てもらおうと思いました。泌尿器科受付へ行くと診療情報提供書がないと診れないと言われ帰りました。二度もこの病院の駄目さを見せつけられたので、二度と受診しなければ良かったです。まさか妹が入院中に死んでしまうとは思いもしませんでした。

2021年11月6日(土)にシャント手術のために入院しました。嫌がりながらもタクシーには何とか乗ったのですが、手術前の検査では大声をあげて嫌がっていました。入院中は付き添ってくれと言われ、個室に入院したのですが、手術後に手をバタバタして点滴が外れそうになることが何度かありました。瀨野晋吾医師が来て、何を思ったのか退院させられることになりました。手術前には1週間から1ヶ月は入院することになると言っていたのに数時間で言うことが変わりました。せめて精神科の治療もできる所に転院させれば良かったのにと思います。入院した日の夕方には荷物も持ちきれないくらいあるのにタクシーに乗って帰宅することになりました。私一人で荷物を持ち全盲の妹を部屋まで連れて行くのは大変でした。今から考えると手術をやめれば良かったと後悔しています。この手術で余計に精神が異常になりました。

2021年11月16日(火)に愛媛県立中央病院泌尿器科の腎臓移植相談の予約を取っていたのですが、妹の精神異常で受診できませんでした。

南松山病院で書いてもらった診療情報提供書



2021年6月6日(日)

おなかが空いていけないというので、内科を受診しました。熱があるからということで内科は受診できずに発熱外来へ行かされました。6月8日に腎臓内科の医師が来るから受診するようにということで予約を取らされました。






2021年6月8日(火)

内科を受診しました。医師は愛媛大学から来ている腎臓内科の近藤史和医師だそうです。







2021年7月6日(火)

おなかが異常に空いていけないから受診したことを言いましたが、何もしてくれませんでした。妹の希望で次に胃カメラ検査をすることになりました。藤山内科でおなかが空いていけないことを言ったら胃カメラ検査をした方が良いと言われたのだそうです。そのためか南高井病院に入院していた時、久米病院に入院していた2019年12月にも胃カメラ検査をしたのですが異常はありませんでした。


2021年7月10日(土)
胃カメラ検査をしました。異常はありませんでした。妹は胃を気にして何度も胃カメラ検査をしていたのに、2022年に南松山病院入院中に胃潰瘍になり、発見が遅れて下血までするとは皮肉です。


2021年8月3日(火)
7月10日の検査でピロリ菌がいたと言われた。ピロリ菌の除菌をするかどうか聞かれ、妹はすると聞かれた。それでボノサップパック400が処方された。この除菌薬を飲んだことで心身共におかしくなり、これが結局は寿命を縮めたことになるのではないだろうか。妹に表れた副作用は尿量が減る、食欲不振、失見当識(時間、場所、名前がわからない)、意識障害、せん妄、低血糖でした。これらの副作用は南松山病院からもらった紙には書かれていませんでした。
8月5日(木)の妹

8月10日(火)の妹
5日は少し唇に白い粉が付いていて写真を撮ったのだが、10日はもっとひどくなっている。これが何だったのかわからずじまいだった。こんなことは今までなかった。



2021年8月13日(金)
昨日、千舟町クリニックの往診を頼んだが原因もわからず治療もされなかった。南松山病院を受診してインスリンの量を調整してもらえと言われたので、私一人で行くが、医師からは低血糖を起こしているからすぐに入院しろと言われた。帰宅してタクシーを呼ぶが、妹が嫌がったため病院に行けなかった。

2021年8月16日(月)

妹を連れて行けたので内科を受診させた。ぐったりとしているのだが、検査では異常がないと言われた。点滴をして帰宅した。入院しろと言われるのかと思ったが、担当医が違うからなのか言われなかった。



2021年8月21日(土)

良くならないので主治医のいる時間に来たが、何の治療もされなかった。



2021年8月31日(火)

定期受診




2021年9月18日(土)
8月31日にもらった血糖値測定用のチップと針が足りないので私だけでもらいに行った。定期受診の日には残っているチップと針を用紙に書いて提出しているのだから、次の受診日までどれだけいるか算数ができればわかるはずだが、主治医は算数もできないようだ。こんな医師と病院を見限って他の病院に変えていれば妹は死ななくてすんだかもしれない。足りないチップと針をもらうだけでも医師の診察が必要だったので、順番を待つのに時間がかかった。弟が亡くなってから糖尿病はあらたま内科・糖尿病内科、久米病院、千舟町クリニック、南松山病院と変えてきたが、間違いがなかったのはあらたま内科・糖尿病内科だけだった。


2021年9月28日(火)

定期受診





2021年10月26日(火)

定期受診






2021年11月6日(土)
内シャントの手術で入院した。暴れたり大声を出したりするといけないので付き添ってくれと言われ個室に入れられたのに、夕方には退院させられてしまった。手術する前には、何かあって明日退院させるというのは無責任だから、鎮静剤で抑えようと言っていたのに、ころっと態度が変わった。この時に南松山病院を見限って他の病院に変えていれば妹は死ななかったかもしれない。何度も私が判断を間違えたせいで妹を死なせてしまった。



2021年11月7日(日)
傷の手当で南松山病院へ行く。

2021年11月9日(火)
傷の手当で南松山病院へ行く。



2021年11月13日(土)
傷の手当で南松山病院へ行く。車いすに座ってじっとしているのを嫌がるし、大声を出すしで往生した。

2021年11月20日(土)

傷の手当で南松山病院へ行く。行くのを嫌がり、何度も催促してやっと行けた。


2021年11月30日(火)

定期受診。病院で大声を出すので参った。シャント手術後、精神状態が非常に悪くなっている。



2021年12月14日(火)

定期受診。車いすを押して南松山病院へ行っている時に嫌がって私の指を噛んだ。どうしたのだろうか。





2021年12月21日(火)
南松山病院から電話があり、主治医から話があるので来てくれと言われ私一人で行った。何かと思ったら久米病院精神科を受診してくれということだった。妹は久米病院へは二度と行かないと言っているので他の精神科が良いと話したが、どこの精神科が良いかわからないと言うので、取り敢えず帰宅して妹に聞いてみることにした。久米病院宛の診療情報提供書を渡してくれた。



2021年12月28日(火)今年最後の定期受診だった。久米病院精神科は受診できず、私一人で相談に行ったことを話すと愛媛大学医学部附属病院精神科を受診するように言われた。その後二階の透析センターを見学するように言われ、妹と見学した。妹は目が見えないのに、見学することに意味があるのかと思った。見学後に感想を聞かれたので、このままの状態では大声を出したりして迷惑を掛けるから血液透析は無理だと言っておいた。





2022年1月4日(火)
今朝も妹は薬は飲まないし歯も磨かなかった。耳が聞こえにくくなったのか、何か尋ねても答えが返って来ないことが多い。昼食後から南松山病院へ行くように言ったが、予約時間の15時近くになっても行こうとしないので私一人で行った。




2022年1月11日(火)
妹が行かないので私だけで南松山病院へ行った。愛媛大学医学部附属病院精神科の予約は木曜日になった。




2022年1月15日(土)
このまま妹が病院に行かないのでは死んでしまうので、訪問診療に切り替えることにしてベテル三番町クリニックにお願いした。南松山病院へ電話したら、診療情報提供書を書くから午後に取りに来てということだった。診療情報提供書のことなんか言っていないのに、話がちゃんと伝わっていない感じだ。外来へ行くのはこれが最後になった。3月11日(金)に救急車で南松山病院に運ばれ入院した。救急当番病院が別の人工透析ができる病院だったら妹は今も生きていたかもしれない。

2022年8月30日火曜日

妹はなぜ死んだのか 天山病院

1回目の入院 済生会松山病院からの転院 2020年4月13日

地域連携室から転院するように言われ、この時は砥部町に住んでいたので、なるべく近い病院をと思い、一度も受診したことがなかったのですが松山協和病院を希望しました。松山協和病院からは断られ、ここも受診したことがなかったのですが天山病院を希望したら受け入れてくれました。










2回目の入院 愛媛県立中央病院からの転院 2020年12月17日


2021年2月3日退院

3月16日まで入院の予定だったが、大声を出す等で精神科へ転院してくれとの話になった。しかし精神科に空きがないということで空くまで待つこともなく退院させられた。骨折もまだ治っていないし、尿閉でバルーンも付いたままの状態である。住宅には段差があって車椅子で外出するのは私一人の介護では非常に困難な状態なのにである。患者よりも病院優先の無責任極まりない病院である。地域連携室の職員は1回目の退院前に住宅に来て、階段、玄関、風呂、トイレにどういう段差があるか調査したのにである。