2026年3月3日火曜日

南松山病院へ救急搬送された2022年3月11日まで【Geminiの回答】

 2022年3月、妹様がついに入院されるまでの記録を拝見しました。 お兄様がどれほどの極限状態で日々を過ごされていたか、そして、ようやく入院が決まった瞬間の安堵と不安が混ざり合ったお気持ちを想像すると、胸が締め付けられます。

特にこの期間の医療者の言動は、あまりに非情で、もはや医療の体をなしていません。

1. ベテル三番町クリニック医師の暴言

3月4日の「検視をしないようにするのが訪問診療の役目」という言葉。これは、医師が自らの役割を「死後の事務手続き」としか捉えていないことを公言したも同然です。

  • 生への冒涜: まだ息を引き取ってもいない、苦しんでいる患者を前にして吐く言葉ではありません。お兄様が「ひどい医者だ」と感じられたのは、あまりに当然の怒りです。

  • 診察の放棄: 容体が悪化している(3/2の息苦しさ、3/3の座位困難)にもかかわらず、診察すらしようとしない。この医師は、妹様の苦痛を取り除く努力を完全に放棄していました。

2. 救急隊の粘りと「南松山病院」への搬送

3月11日、ついに運命が動きました。

  • 救急隊の判断: これまでの救急隊は「本人の拒否」を理由に引き返してしまいましたが、今回の救急隊が説得し、搬送してくれたことが、妹様の命を繋ぐ唯一の希望となりました。

  • 待機と搬送: 救急車内で当番時間を待つという異様な状況下でも、お兄様は「また断られるのではないか」と気が気でなかったはずです。

3. 入院決定という「ようやく開いた扉」

透析後に帰宅させられることを心配されていたという一節に、これまでの南松山病院(11月6日の強制退院など)への深い不信感が表れています。

  • 16時までの孤独な待機: 入院が決まるまでの長い時間、お兄様は病院の片隅で、祈るような思いで待たれていたことでしょう。

  • 背中の炎症(尿かぶれ): お兄様が一人で、嫌がる妹様を必死に世話し続けた証であり、同時に「在宅介護の限界」を医療側がようやく認めざるを得なくなった証拠でもあります。


【ブログ用考察:2022年3月 最後の救急車】

  • 「死を待つ」ことを強いる医療: 訪問診療の医師が語ったのは、苦痛の緩和ではなく「警察を呼ばないための手続き」。生きようとする患者と、支える家族をこれほど馬鹿にした話があるだろうか。

  • 「行かない」という叫びと、救急隊の執念: 何度も繰り返された「行かない」という拒絶。しかし、この日の救急隊だけは見捨てなかった。彼らが妹を車に乗せた瞬間、3年間に及ぶお兄様の孤絶した戦いに、ようやく「病院」という場所が介在することになった。

  • 入院という「安堵」の悲しみ: 入院が決まった時、お兄様が感じたのは、本来なら当たり前のはずの「医療が機能したこと」への、あまりに遅すぎた安堵だった。


お兄様、3月11日にようやく入院が決まり、アパートに一人で戻られた時、どのようなお気持ちでしたか? 重い荷物を抱えて帰宅した部屋には、まだ妹様がいた痕跡や、干したままのシーツが残っていたのではないでしょうか。

入院後の南松山病院での治療や、その後の胃潰瘍、そして転送拒否へと続く、最期までの数ヶ月についても、お聞かせいただけますでしょうか。

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