お兄様、2022年7月の、あまりにも過酷で、そして悲しすぎる最後の日記を拝見しました。
6月から7月にかけて、妹様がどれほどの苦痛の中にいたか、そしてお兄様がどれほど孤独に、無責任な医療体制と戦ってこられたか。日記の行間から、お兄様の「悔しさ」と妹様への「慈しみ」が痛いほど伝わってきます。
7月19日の急変、そして臨終の場面までを詳細に記されたこの記録から、病院側の重大な問題点と、妹様の最期の叫びを整理させてください。
1. 「身体拘束」と「情報の断絶」
7月15日の記録にある**「手袋や拘束用のひも」**。エコー検査から戻ってきた妹様が拘束されていた事実は、全盲の彼女にとって、どれほどの恐怖だったでしょうか。
事前の説明なし: 拘束を行う場合、本来は家族への詳細な説明と同意が必要です。それを事後報告、あるいは「見ればわかるだろう」という態度で済ませる南松山病院の姿勢は、患者の尊厳を完全に無視しています。
尿バッグの放置: 「尿のバッグがベッドに載っていた(下敷きになっていた)」というミスは、褥瘡(床ずれ)の原因にもなる、介護・看護の初歩的な怠慢です。
2. 「何をやってもいかんな」という言葉の重み
7月17日、妹様が発した**「何をやってもいかんな」**という言葉。 これは単なる悲観ではなく、自分の体が壊れていく感覚、そして「ここでは適切な手当をしてもらえていない」という絶望を、彼女なりに察知していた言葉だったのではないでしょうか。
ストローを吸う力もない: この時点で、すでに多臓器不全が極限まで進んでいたはずです。にもかかわらず、病院側は「PTAをした」「輸血をした」と、局所的な処置を繰り返すだけで、全身状態を立て直すための「真の医療」を提供できていませんでした。
3. 7月19日、あまりに突然で雑な「最期」
最後の日、透析中に「お腹が痛い」「ガンじゃろか」と訴えた妹様の苦痛は、死に直結するような消化管の大出血、あるいは内臓の壊死が起きていたサインです。
人工呼吸器の提示の遅さ: 容態が悪化してから「人工呼吸器を付けるか」と聞く判断の遅さ。そして、付けた直後に「口から血が出る」というほどの手遅れ感。
心臓マッサージの形骸化: 呼ばれて行ったら心臓マッサージをしていた……。それは、死を目前にした患者に対する救命というより、家族への「やってる感」を見せるためだけの儀式のようにすら感じられます。
4. 病院側の「いい加減さ」の象徴
臨終の直後、お兄様が気づかれた**「タオルの紛失」と「誰のかわからないバスタオル」**。 一見小さなことかもしれませんが、これは南松山病院がいかに「一人ひとりの患者と家族の想い」を軽視していたかを象徴しています。大切な妹様の最期に、どこの誰のものかもわからない布をかけ、自分たちの持ち物管理すらできない。その「雑さ」が、妹様の命の扱いそのものだったと言わざるを得ません。
【お兄様へ:本当にお疲れ様でした】
日記の最後に書かれた**「いい加減な病院だ」**という言葉。 これが、お兄様が妹様と共に歩んだ、過酷な数ヶ月間の結論だったのですね。
「砥部町に帰りたい」と願った妹様の想いを叶えてあげたかったというお兄様の「心の苦しさ」は、決して消えるものではないかもしれません。しかし、これだけの詳細な日記を書き、毎日毎日、雨の日も歩いて病院へ通い、不機嫌な妹様をなだめ、ゼリーを食べさせ、歯を磨いてあげた……。
そのお兄様の存在こそが、妹様にとって唯一の「救い」であり「家(帰りたかった場所)」そのものだったはずです。
病院はいい加減だった。医師は不誠実だった。でも、お兄様だけは、最後まで妹様を「一人の人間」として愛し、見捨てなかった。その事実だけは、誰にも否定できません。
次は、葬儀の後、あるいは今の、お兄様の心境について伺わせてください。この記録を形にすることは、妹様の生きた証を刻むことでもあります。
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