2022年8月30日火曜日

妹はなぜ死んだのか 天山病院

1回目の入院 済生会松山病院からの転院 2020年4月13日

地域連携室から転院するように言われ、この時は砥部町に住んでいたので、なるべく近い病院をと思い、一度も受診したことがなかったのですが松山協和病院を希望しました。松山協和病院からは断られ、ここも受診したことがなかったのですが天山病院を希望したら受け入れてくれました。










2回目の入院 愛媛県立中央病院からの転院 2020年12月17日


2021年2月3日退院

3月16日まで入院の予定だったが、大声を出す等で精神科へ転院してくれとの話になった。しかし精神科に空きがないということで空くまで待つこともなく退院させられた。骨折もまだ治っていないし、尿閉でバルーンも付いたままの状態である。住宅には段差があって車椅子で外出するのは私一人の介護では非常に困難な状態なのにである。患者よりも病院優先の無責任極まりない病院である。地域連携室の職員は1回目の退院前に住宅に来て、階段、玄関、風呂、トイレにどういう段差があるか調査したのにである。











2022年8月29日月曜日

妹はなぜ死んだのか 久米病院

外来で精神科に10年位通院していたそうです。初診がいつなのかわかりませんが、2010年に帰省した時にはもう久米病院に通院していました。妹に聞くと最初は弟も通院していた光宗クリニックを受診したそうです。診察券もありました。久米病院に変えた理由を聞きましたが、わからないそうです。

2019年9月に平成脳神経外科病院を退院して砥部町の家で暮らしている時に、お経が聞こえるとかごはんを食べても霊が食べるので満腹にならないと言い出しました。不安感も強いようで手を握ってくれとか横で寝てくれと言いました。買い物で30分とか1時間位外出する時でも帰る前に電話してくれと言い出しました。昼夜を問わずほとんど眠れないようで、長くても1時間くらいで目が覚めるようでした。まだ歩くと足が痛いので、私だけで11月13日に久米病院精神科に行きました。主治医からは入院した方が良いと言われました。妹に入院の話しをするとすぐに入院したいと言いました。平成脳神経外科入院した時には入院を嫌がって、私が付き添うことで何とか入院させた経緯があったので驚きでした。


2019年11月13日

処方された薬
朝・夕食後ドグマチール錠50mg、コンスタン0.4mg錠
幻聴時1日2回まで(1回1錠)リスペリドンOD錠0.5mg

2019年11月15日

精神科に入院。介護タクシーが予約できず、普通タクシーにしたのでおぶってタクシーに乗せるなど大変でした。


2019年12月16日
処方された薬
朝・夕食後ドグマチール錠50mg、コンスタン0.4mg錠
就寝前リスペリドンOD錠1mg、ロゼレム錠8mg、ブロチゾラムOD錠0.25mg

2020年1月15日
処方された薬
朝・夕食後ドグマチール錠50mg、コンスタン0.4mg錠
就寝前リスペリドンOD錠1mg、ロゼレム錠8mg、ブロチゾラムOD錠0.25mg

2020年2月12日
処方された薬
朝・夕食後ドグマチール錠50mg、コンスタン0.4mg錠
就寝前リスペリドンOD錠1mg、ロゼレム錠8mg、ブロチゾラムOD錠0.25mg

2020年7月8日
処方された薬
朝・夕食後ドグマチール錠50mg、コンスタン0.4mg錠
就寝前ロゼレム錠8mg、就寝前
就寝前の薬を飲むと足がだるくなる症状が出ていました。リスペリドンの副作用に横紋筋融解症が書かれていて、リスペリドンの服用を止めたら症状が出なくなりました。それでリスペリドンの処方を止めてもらいました。

2020年9月2日
処方された薬
朝・夕食後ドグマチール錠50mg、コンスタン0.4mg錠
就寝前サイレース錠1mg、ブロチゾラムOD錠0.25mg

2020年9月30日
処方された薬
朝・夕食後ドグマチール錠50mg、コンスタン0.4mg錠
就寝前マイスリー錠10mg、ブロチゾラムOD錠0.25mg

2020年10月28日
処方された薬
朝・夕食後ドグマチール錠50mg、コンスタン0.4mg錠
就寝前マイスリー錠10mg、ブロチゾラムOD錠0.25mg

2020年11月2日
内科に入院しました。検査して車椅子で病室へ移動する前に大腿骨を骨折していました。久米病院では骨折がわからず、11月16日に愛媛県立中央病院整形外科を受診して骨折がわかりました。久米病院には内科と精神科しかないとはいえ、足の痛みを訴えているのにレントゲンを撮って検査ぐらいしてくれれば良かったのにと思います。

入院を嫌がって車椅子から立ち上がった時にフットステップの後ろに立ちました。その時にフットステップがてこになって大きな力が大腿骨にかかって骨折したのだと思います。










2021年12月22日

昨日南松山病院の近藤医師から電話があり、南松山病院へ行き、久米病院精神科を受診するように言われた。去年骨折させられてから、久米病院へ行くのはもう嫌だと言っていると伝えたが他の精神科で良い病院はわからないからと近藤医師に言われたので、一応妹に聞いてみることにして久米病院宛の診療情報提供書をもらって帰宅した。

妹に久米病院へ行くか聞くが嫌だと言うので私一人で久米病院へ行った。最後の受診から1年以上経っているので本人が来ないと薬は出せないと言われた。時間と労力の無駄だった。

妹はなぜ死んだのか 南高井病院

ショートステイ超に入所していた妹は2019年5月14日に南高井病院に入院しました。どういう経緯で入院したのか聞いていませんが、入院時は血糖値が600以上あって、測定器では測れなかったと主治医寺岡秀郎が言っていました。なかなか血糖値が下がらないので、あめでも隠し持っていて食べているのではないかと疑ったそうです。全盲で、一人では院内の売店に買い物にさえ行けないのに、あめなんか持っているはずがありません。医者なのに、他に原因があると思わなかったのでしょうか。

全盲で携帯電話も持っていないし、かけることもできないので手紙を送ろうと思いました。問い合わせると、職員が読んで聞かせるということだったので、手紙を8通出したのですが、妹の手元に行った手紙は1通だけで、しかも読み聞かせたのは職員ではなくて面会に行ったおじさんでした。他の手紙は地域連携室職員と主治医寺岡秀郎が勝手に開封して読み、事務室に保管していました。


南高井病院は平気で犯罪行為を犯す病院です。恐ろしいです。

妹は転院したいと言っていました。私からも主治医寺岡秀郎に伝えると、診療情報提供書は書かないから、勝手に転院先を探してくれと言われました。

南高井病院は施設への入所をすすめていましたが、妹は嫌がっていました。私の方でも転院できるところはないかと問い合わせましたが、病院の地域連携室を通しての転院でないと駄目だと言われました。

八方ふさがりの中、私が同居して妹の介護をするしかないと思いました。

退院前に以前の主治医だった藤山内科を受診してくれと言われ、8月28日に受診しました。そこでは転院したい、南高井病院には戻りたくないとごねました。

何とかなだめすかして、タクシーで南高井病院に戻りましたが、そこでも地面に座り込んで、なかなか病室に戻りませんでした。何とかなだめて、病室に戻りましたが、いきなり主治医寺岡秀郎から今すぐ退院してくれと言われ、退院することになってしまいました。念書まで書かされました。






南高井病院念書

南高井病院診療明細書2019年5月

南高井病院診療明細書2019年6月

南高井病院診療明細書2019年7月

南高井病院診療明細書2019年8月




2022年8月26日金曜日

血糖値

あらたま内科・糖尿病内科受診時2019年8月
2019年9月
ベテル三番町クリニック在宅診療時2022年3月
医師は血糖値が100以下の時はインスリン注射をしなくて良いと言いました。
 


2022年8月25日木曜日

砥部町へ帰る 2019年8月26日

2019年8月26日(月) 午前中に大阪ガスが閉栓に来た。管理会社の立ち会いは12時過ぎに来た。荷物が重過ぎて、地下鉄とバスターミナルで苦労した。高速バスは定刻に発車した。妹から電話があったが高速バス車内だったので出なかった。松山に着いたら小雨が降っていた。伊予鉄バスで砥部町まで帰る。疲れた。

2022年8月19日金曜日

南松山病院内科受診

2021年6月6日(日) 

南松山病院の形成外科と泌尿器科は受診したことがあったが、内科は初めてだ。今年の2月に天山病院を退院してから空腹感が強くてずっとおなかが空いたと訴えている。糖尿病なので好きなだけ食べさせるわけにもいかない。千舟町クリニックの訪問診療で言っても治す薬はないとか入院しても治らないと言って何もしてくれなかった。

宇佐美消化器クリニックを受診したが、精神が異常になっただけで何も良くならないどころか、却って悪くなったので南松山病院内科を受診した。内科の受付で体温を測ったら37.3度あり、その後も2回測ったが37.7度あったので発熱外来へ行かされた。熱はないはずだが、車椅子で来て直射日光を浴びたから体温が上がったのだろうか。14時頃に着いて終わったのは16時半を過ぎていた。血液検査と尿検査をした。あらたま内科・糖尿病内科では尿検査の時は女性看護師が妹をトイレに連れて行ってくれて採尿までしてくれるのに、南松山病院は何もしてくれなかった。どうやって尿を取って良いのかしばらくトイレで悩んだ。何とか採尿できた。腎臓が悪くなっているから、次の火曜日に腎臓内科の医師が来るから受診するように言われた。腎臓が悪くなっているのはとっくにわかっていて、腎臓の治療に来たわけではない。空腹感が強くて治らない原因はここでもわからなかった。




2022年8月15日月曜日

父方親戚のひどい仕業

父は上浮穴郡久万高原町中津(昔は柳谷村中津)の出身で、弟が亡くなった2019年4月28日に親戚に連絡が行き、叔父(松山市在住)、叔父の嫁、叔母(松山市在住)、叔父(故人)の嫁(砥部町在住)が妹が住む砥部町の家に集まったそうだ。妹は目が見えず食事の支度もできないのに、昼食の用意もしてくれず昼食は食べなかったそうだ。糖尿病なので低血糖になる恐れもあるというのに。

後日私が砥部町の家に帰ってみると弟の部屋は写真のように荒らされていた。また妹と同居するようになってから聞くとキャッシュカードの暗証番号を親戚から聞かれたので教えたそうだ。

通帳を調べてみるとゆうちょ銀行と伊予銀行定期預金が勝手に解約されていて、伊予銀行からは112万円が勝手に引き出されていた。妹に聞くと何も知らないそうだ。弟と妹の通帳とキャッシュカードは親戚が勝手に持ち出していて、返してもらったのは通帳だけだった。キャッシュカードがないと言うと知らないととぼけられた。預金を盗んだりしていないからと言われて返されたが、記帳したら112万円が不明になっていた。弟の葬式や妹の入院に必要で使ったのだとしたら、領収書を添えて堂々と説明すれば良いのに、後ろめたいことがあるのだろうか。

妹は障害者年金を受給していて年金証書があるはずなのだがなかった。おそらく親戚が持ち去ったのだろう。なぜか亡くなった祖母の年金証書はあった。

妹が病院や施設に入るのは嫌で私と一緒に暮らしたいと強く希望した。私は当時住んでいた大阪に妹を連れて来るか、私が砥部町の実家に帰るか悩んだ。結局砥部町に帰ることにしたが、叔父からはこちらに帰ってこられると迷惑だと電話で言われた。このことは絶対に忘れない。


妹はこんなことを言っていないのに、妹になりすましてこんな手紙を書いてきました。









飼っていた犬と猫も親戚に連れて行かれ行方不明です。保健所に連れて行かれ処分されたのかもしれません。犬は動物愛護センターでもらってきた犬で、猫は迷い猫です。弟と妹がかわいがっていました。