2025年10月31日金曜日

医師とケアマネージャーは助けてくれないというお話19

 2020年7月8日に久米病院へ行った後、いよてつ高島屋にあるシンプルライフへ妹を連れて行きました。ポイントカードの最後の日付が2019年4月24日なので、それ以来の来店のようでした。

亡くなった弟はケアマネージャーに妹は金銭感覚がないと言っていたそうです。病院へ行く時くらいしか出かけないのに服が異常に多かったです。値札が付いたままの服もいくつかありました。

翌日の7月9日には土曜日(11日)にシンプルライフへ連れて行けと夜中までぐずられて大変でした。

7月29日に眼科タカオカ医院へ行った帰りに、いよてつ高島屋のシンプルライフに連れて行きました。多分これが最後の来店だったと思います。7月いっぱいで閉店したのではないでしょうか。妹と仲の良い店員さんが転職先の店が決まったら知らせるから住所を教えてくれと言われ教えました。現時点でも連絡がないのでアパレル関係には就職しなかったか、遠くで就職したのかもしれません。妹は何度か新店舗のお知らせは来ていないかと聞いていました。

8月になると体のかゆみ、手のしびれ、足の巻き爪による痛みを訴えるようになりました。8月18日にいかわ整形外科へ連れて行きました。血液検査をしました。

8月21日には吉岡クリニックの皮膚科で診てもらいました。

8月25日に血液検査の結果を聞きにいかわ整形外科へ行くとリウマチではないとのことでした。音波検査では炎症があるとのことでした。足の巻き爪は切ることになりました。その後は手のリハビリを受けることになりパラフィンの中に手を入れて温めたりしていました。

いかわ整形外科での手のリハビリは毎日行くと行っていたのに、9月8日を最後に行かなくなりました。行かないと言うだけで、なぜ行きたくないのか理由を言ってくれないので困りました。この後は洗面器にお湯を入れて自宅でリハビリの代わりをしました。

2025年10月30日木曜日

医師とケアマネージャーは助けてくれないというお話18

砥部町社会福祉協議会のケアマネージャーの時は訪問介護を週2回受けていたのですが、弟が亡くなってからは私がずっと家にいるから訪問介護を受ける資格がないと言われ、訪問リハビリを1ヶ月くらい受けただけだったのですが、アトムケアサポートのケアマネージャーに変えてからは訪問介護、訪問看護、デイサービス、通所リハビリを受けることになりました。
デイサービスは以前から嫌だと断っていたのですが、天山病院入院中の2020年6月18日に見学に行きました。断るのかと思ったら、通うということになりました。
しかし、デイサービスは1回だけ行き、通所リハビリは2回だけだったでしょうか、行くのが嫌だと断ってしまいました。どうして嫌なら最初から断っていれば良かったのにと妹に言うと、ケアマネージャーが勧めてくるから断れなかったと言っていました。
介護サービスは障害者以外は65歳以上しか受けられず、デイサービスはかなりの高齢者しかいないと思うので56歳の妹とは話が合わないだろうし、小学校6年から不登校になってずっと家にいて他人と触れ合わない生活をしてきた妹には無理だっただろうと思います。入院も妹にはかなりの負担だったでしょう。
通所リハビリの代わりに訪問リハビリを受けることになりました。これなら砥部町の時に受けていた訪問リハビリの業者で再開していた方が良かったのにと思います。



訪問介護は週1回だったと思いますが、同じヘルパーが来るわけではなく毎回のように違ったヘルパーが来るので10月頃に断りました。妹はいらないとは言ってなかったように思うので、ただの話し相手でも良いから続けていた方が良かったのかなと今は思っています。
一時期は訪問介護、訪問看護、訪問リハビリ週2回でその合間を縫って病院へ行くという忙しさでした。
天山病院を退院前は愛媛生協病院の訪問診療を受けようと思って、天山病院に診療情報提供書を書いてくれと頼んだのですが書いてくれなかったので、久米病院で内科と精神科を診てもらうことにしました。
今振り返ると久米病院で内科も診てもらわなければ入院することもなかったし、久米病院で骨折することもなかったのにと思います。未来のことはわからないから仕方ないですが。

2025年10月29日水曜日

医師とケアマネージャーは助けてくれないというお話17

 2020年4月13日に済生会松山病院から天山病院に転院したのですが、元気がなくて天山病院での昼食も食べるのに時間がかかっていました。まだ食べると言っているのに、食べ終わっていない昼食を下げられてしまいました。

4月16日には天山病院から職員が自宅に来て部屋の構造や段差を測っていきました。普通の病院はこんなことをしないし、一見するとすごく患者のことを考えている病院だと思えますが、南高井病院も退院前に自宅の調査をすると言いながら急に退院させられました。天山病院も2度目の入院の時は精神科に転院させると言いながら、空きがないからと骨折も治っていないしバルーンカテーテルも付けている状態で退院させられました。結局は患者のことは二の次で面倒なことは避けて病院がもうかれば良いのだというように見えます。

4月27日に面会ができないので消耗品がなくなっていないか聞こうと天山病院へ電話して病棟へつないでくれと言ったのですが、いくら待っても誰も出ませんでした。

電話しても出ないので4月30日にティッシュとウェットティッシュを持って行って受付に渡しました。

5月18日には天山病院でカンファレンスがありました。整形外科医、看護師、療法士、栄養士が出席していたと思います。記憶がはっきりしませんがケアマネージャーも来ていたのだろうと思います。

砥部町に親が残してくれた持ち家があるのですが、階段や段差があってまた転倒する危険もあるし、車もなくて不便なので、6月1日に松山市のアパートへ引っ越しました。6月15日には退院前の調査ということで天山病院の職員が松山市のアパートに来ました。妹も同行していました。杖をついて職員に手をひかれて歩いて来ました。入院前に比べてかなりやせていました。

6月24日に退院前のカンファレンスがありました。砥部町社会福祉協議会のケアマネージャーから天山病院系列のアトムケアサポートのケアマネージャーに変えることになりました。

6月30日に退院することができました。看護師さんが見送ってくれて花の植木鉢をいただきました。

2025年10月28日火曜日

医師とケアマネージャーは助けてくれないというお話16

 2020年4月13日に済生会松山病院から天山病院へ転院したのですが、この日は土砂降りの雨でした。ストレッチャーで運ぶのかと思ったら、大きめの車椅子に乗せて移動しましました。






天山病院の面会規制は厳しくて、退院前に家庭訪問のようなものがあり、その時に天山病院職員と来た時以外は退院するまでに会うことができませんでした。
この後に入院した久米病院、愛媛県立中央病院、南松山病院では面会ができました。妹のように全盲で精神障害があるのに家族に面会できなかったというのは辛かっただろうと思います。病院の選択を間違ってばかりいたように思います。

2025年10月27日月曜日

医師とケアマネージャーは助けてくれないというお話15

 2020年3月17日に済生会松山病院地域連携室から転院先をどうするかと電話がありました。バスで面会に行くのに便利だと思い協和病院を希望しましたが、協和病院は受け入れを拒否ということで天山病院に転院することになりました。

3月20日に面会に行くと看護師が良くしてくれないので通院にできないかと妹に言われました。面会に来るだけの私でもこの病院と南高井病院は職員が冷たい感じがしたので、入院患者はもっと嫌な思いをしているのではないかと思いました。

3月24日に済生会松山病院で転院についての話がありました。天山病院からは地域連携室の職員が二人来ました。

この頃から新型コロナウイルス感染症が増えていき、済生会松山病院は4月から面会には体温測定とカード記入が必要になると掲示がありました。

記憶にないのですが、病棟看護師に何か言われたのか、4月7日の日記には面会受付で記入、検温したのに看護師にむかついたと書いていました。

全然良くなっているようには見えないまま、4月13日に天山病院へ転院することになりました。済生会松山病院に着いた時には朝食の時間でした。元気がなく一人では食べられる状態ではなかったので私が介助して食べさせましたが食べ終わるのに1時間くらいかかりました。

2025年10月26日日曜日

医師とケアマネージャーは助けてくれないというお話14

 階段から転落した翌日の3月7日になると妹はおしりが痛いと言いました。転落してから尿が全く出てもいないので泌尿器科へ連れて行くか迷いました。近くに泌尿器科はないし、松山市へ行くにしても介護タクシーが予約できるかどうかわかりません。西村外科小児外科へ電話して泌尿器科を受診した方が良いかたずねると、利尿薬を持ってきてくれるということで持ってきてもらった利尿薬飲ませましたが尿は出ませんでした。


3月8日になると食欲もなくなり、ほとんど朝食を食べませんでした。尿も出ないし、今日は日曜日なので病院も閉まっています。ケアマネージャーにどうしたら良いか聞いてみようと電話しました。ケアマネージャーは糖尿病主治医のあらたま内科へ電話してみろというので、電話しましたが日曜日なので誰も出ません。介護タクシーも空きがなくて呼べませんでした。仕方なく救急車を呼んで、済生会松山病院へ連れて行ってもらいました。


済生会松山病院で診てもらうと骨折していただけでなく肺炎にもなっていました。尿は確か2リットルたまっていたと言われたと思います。バルーンカテーテルをつけて排尿しました。



3月8日の入院時に医師から命に関わるような状態になった時には延命措置をするかどうかを聞かれました。こういうことを聞かれたのは他には天山病院だけで、他の病院に入院した時には聞かれませんでした。
済生会松山病院に行くにはバスで立花まで行き、立花で電車に乗り松山市駅でまた乗り換えて山西駅で下車し10分くらい歩かないといけないので往復で4時間くらいかかり大変でした。

3月11日にケアマネージャーがお薬手帳を見たいと言って来ました。翌日にはケアマネージャーから電話があって平成脳神経外科病院に入院している時の病状を聞かれました。靭帯損傷なのに骨折していたと思っていたようです。退院前に平成脳神経外科病院でケアマネージャー、医師、看護師、療法士が集まってカンファレンスがあったのですが、ケアマネージャーには病状が伝わっていなかったのでしょうか。

2025年10月25日土曜日

医師とケアマネージャーは助けてくれないというお話13

 2020年2月3日に訪問リハビリをするドリーム・サポート訪問看護ステーションから三人とケアマネージャーが来て打ち合わせがありました。

2月10日からリハビリが開始しました。月曜日と金曜日の週2回で各40分です。南高井病院に入院している時はリハビリを嫌がっていると言われたのですが、訪問リハビリは気に入ったのか週3回にしたいとケアマネージャーに伝えました。

リハビリがない日は13時から17時まで手すりを持って伝え歩きをしていました。それというのもリハビリの結果で同行支援をするかどうか決めるとケアマネージャーから言われていたので、熱心に歩けるようになりたいと思っていたのでしょう。妹の楽しみといえば、2020年頃まであったいよてつ高島屋のシンプルライフというレナウンの店舗で服を買うことでした。弟が生きている頃は毎週行っていたのではないでしょうか。

私も連れて行ってやりたいと思いながら、タクシーしか移動手段がなく、病院へ連れて行くだけでかなり疲れていましたので、余裕がありませんでした。

2月10日から始まった訪問リハビリでしたが8回目の3月6日に受けたのが最後になってしまいました。この日に階段から転落してしまったのです。6日の夜中1時頃だったと思いますが、ドタンという音で目が覚めました。寝床に妹がいないので階段の方へ行くと妹が倒れていました。この時にすぐ救急車を呼べば良かったのですが、8月に勝手口から転落した時は靭帯損傷だけだったので、朝になってから砥部町の西村外科小児外科へ連れて行きました。

レントゲンを撮ると骨折はしていないということで安心しました。ひざを損傷しているということでサポーターのようなものを付けられました。行きは介護タクシーで行ったのですが、帰りは予約が入っているということで、車椅子を押して帰宅しました。

この日は訪問リハビリのある日だったので、どうするか妹に聞くと受けると言うので受けました。西村外科小児外科病院は骨折していないと言っていましたが、実は3月8日に済生会松山病院へ救急車で行くと腰を骨折していたのでした。

2025年10月24日金曜日

医師とケアマネージャーは助けてくれないというお話12

 弟が亡くなり2019年8月から私が同居して妹の面倒を見ることになったのですが、砥部町社会福祉協議会のケアマネージャーに訪問介護、訪問看護、同行支援を受けたいと伝えたのですが拒否されました。

どういう経緯があったのかわかりませんが、2020年1月29日にケアマネージャーが来て訪問リハビリを受けないかと言われ、妹も受けたいということで、後日日程を決めることになりました。それならどうして平成脳神経外科病院を退院してすぐに受けるように手配してくれなかったのだろうかと思いました。



2025年10月23日木曜日

医師とケアマネージャーは助けてくれないというお話11

 2019年12月19日に久米病院から電話があり精神科病棟から内科病棟へ移ったということでした。精神科病棟の出入り口は常時鍵がかかっており、入るにはインターフォンで面会に来たことを伝え鍵を開けてもらう必要がありました。内科病棟はそういう必要はなく病室まで直接行くことができました。

12月20日に退院ということになり、インスリン注射や薬をもらって帰宅したのですが、帰宅してから注射器の針ではなく血糖値を測る時に血を取るための針だということに気付き、自転車で行こうか迷ったのですが、もう夕方で病院が閉まっているといけないと思いタクシーを呼んで取りに行きました。タクシー代が1往復半もかかってしまい痛い出費でした。受け取る時にちゃんと確認しておけば良かったと後悔しました。

入院する時に、妹は目が見えないので自分で電話をすることができないから、代わりに電話を掛けてくれと電源を入れたままのガラケーと充電器を看護師に渡していたのですが、退院する時には電源が入りっぱなしで充電が切れた携帯電話を返してくれました。この携帯電話から電話が掛かってきたことはありませんでした。それと床頭台に何枚かのテレホンカードを入れておいたのですが、それが全部なくなっていました。

精神科に入院したのはこれが最初で最後になりました。久米病院には内科に2020年11月2日入院することになるのですが、この時に入院をするのは嫌だと言って病室へ移動しなかったので車椅子に乗せて移動させようとして大腿骨を骨折してしまいます。

2019年8月の勝手口からの転落、2020年3月の階段からの転落、2020年11月の久米病院での骨折、私がもっと注意深かったら怪我をしていなかったのに、良い病院、良い医師を選択していれば妹はまだ生きていたはずなのにと後悔ばかりです。

2025年10月22日水曜日

医師とケアマネージャーは助けてくれないというお話10

 早く入院したいと言って2019年11月15日に入院した久米病院の精神科でしたが、翌日に面会に行くともう退院したいと言っていました。精神状態から来るものなのか、入院生活が想像していたものと違って我慢できなかったのかわからず、振り回される私は大変でした。食堂にはテレビがあったのですが、病室になかったのが気に入らなかったのかもしれません。ラジオは持って行ったような記憶があるのですが、見えなくてもテレビの音を聞きたかったのかもしれません。



2020年11月2日に久米病院内科に入院した時も、入院を勧めるアトムケアサポートのケアマネージャーからの電話に久米病院はテレビがないから嫌なので天山病院に入院したいと返答していましたが、ケアマネージャーは怒ったのか電話を切ってしまいました。

11月29日に面会に行った時に看護師から来週にも退院できると言われました。入院していると食事もいちいちカロリー計算もしなくて良いし、インスリン注射も血糖値測定もしないで良いので楽ですが、その代わりに面会に行くのが大変です。

晴れていれば砥部町から8kmちょっとの距離を自転車で行きましたが、雨の日はバスで立花まで行き、立花から伊予鉄電車で久米まで行っていました。

血圧が高いので退院は12月半ばに延期になりました。

2025年10月21日火曜日

医師とケアマネージャーは助けてくれないというお話9

平成脳神経外科病院を退院した9月だったか翌月の10月頃だったか忘れましたが、お経が聞こえるとか、食事しても霊が食べてしまうのでおなかが空くのだととか変なことを言い出しました。いつ頃から幻聴があるのか聞いてはいませんが、弟が生きていた頃かららしく、弟も困ったのかケアマネージャーに霊媒師はいないか聞いていたと妹が言っていました。

11月9日に妹が久米病院精神科を受診したいと言い出しました。記録がないのでわかりませんが、最後の受診は2019年3月か4月だったのだろうと思います。

11月13日に予約を入れて受診することになりました。当日になると妹は行かないと言うので、私一人で行き薬をもらって来ました。医師は入院した方が良いと言うので、妹に伝えるとすぐにでも入院したいと言いました。



11月14日に久米病院に電話すると15日に入院ということになりました。まだ歩くと足が痛いと言うので介護タクシーの予約をしようとしましたが空いていないと言われ、仕方なく通常のタクシーで行くことになりました。妹をおぶってタクシーに乗せるのは大変でした。

2025年10月20日月曜日

医師とケアマネージャーは助けてくれないというお話8

 2019年8月28日に藤山糖尿病・代謝内科を受診した時に、もう二度と来るなと出入り禁止の電話を南高井病院にされていたので、あらたま内科・糖尿病内科を8月29日に受診していました。南高井病院を突然退院させられる前にケアマネージャーと内科外来をどうするかという話があったのですが、妹は同じケアマネージャーと藤山糖尿病・代謝内科で良いという話だったのでそうしたのですが、今になると希望を聞いてくれないケアマネージャーと何十年も通っていたのに出入り禁止にするし眼科受診を言わずに失明までした藤山糖尿病・代謝内科をやめておけば良かったと思います。


9月29日の日曜日に急に胃カメラの検査を受けたいと妹が言い出したので、翌日にあらたま内科・糖尿病内科に電話すると予約が取れたので受診しました。記録も記憶もあまりないのですが、あらたま内科・糖尿病内科では胃カメラの検査はできないので、受診歴のある久米病院に問い合わせると予約すれば胃カメラの検査を受けられるということで、後日受けるということになったような記憶があります。

胃カメラの検査は南高井病院に入院している時にも受けたと妹が言っていたので、どうしてそんなに検査を受けたいのか聞きました。藤山糖尿病・代謝内科を受診した時におなかが空いてたまらないと言うと胃カメラの検査をしたら良いと言われたからだそうです。

胃が悪いからおなかが空くのではなくて、急激に血糖値が下がることで異常な空腹感を感じたのかもしれません。食前と寝る前に血糖値を測っていましたが、たまに低血糖のことがありました。採血して血糖値を測る機械ではなくて、腕に貼り付けて24時間血糖値を測れる機械にしていたら良かったのではないかと思います。でもどこの病院でもそういう測定器を使ったら良いと言われたことはありませんでした。

2025年10月19日日曜日

医師とケアマネージャーは助けてくれないというお話7

今までは仕事に行って帰りは外食するか惣菜を買って帰って食べるという生活でしたが、毎日買い物に行って、カロリー計算をして食事を三食作り、血糖値を測ってインスリン注射をするというのは大変でした。ブログを書くために日記を見直しても記入していない日があります。疲れてしまって日記を書く余裕もなかったのかなと思います。仕事に行っている時のように休みの日というものがなく、家族も亡くなって私と妹だけなので代わってくれる人もいません。買い物は自転車で坂があるので余計疲れました。

弟の預金口座3つを相続する手続きもしないといけなくて、銀行、郵便局、信用金庫へ行ったり来たりしていました。

まだ生活に慣れない2019年9月29日の日曜日に急に胃カメラの検査を受けたいと言い出しました。食べても食べても空腹だから胃カメラの検査を受けたいのだそうです。今日は日曜日だから救急病院しか開いてないからと話しました。

2025年10月18日土曜日

医師とケアマネージャーは助けてくれないというお話6

平成脳神経外科病院ではリハビリが必要なので1ヶ月くらい入院した方が良いと言われたと思います。退院前にカンファレンスがあって主治医、ケアマネージャー、看護師等が集まりました。本人は入院を嫌がっていたくらいなので、すぐにでも退院したいということで、2019年9月7日に退院しました。まだ歩けない状態なのでケアマネージャーが手配してくれた介護タクシーで帰宅しました。

退院後に訪問リハビリも手配してくれたら良かったのですが、それはありませんでした。私は介護保険、身体障害者手帳1級、重度心身障害者医療費受給者証でどんなサービスが受けられるかあまり理解していませんでした。医療費が無料になることやタクシーチケットがもらえることくらいしか知りませんでした。

年が明けてから訪問リハビリを受けることになったのですが、どうして平成脳神経外科病院を退院した時に訪問リハビリの提案をしてくれなかったのだろうかと不思議に思っています。訪問看護も受けたいと後に言ったのですが、このケアマネージャーの時には実現しませんでした。訪問診療というのもあると教えてくれていれば、タクシーで行き帰りするという経済的な負担もタクシー待ちをする時間もなくせたのですが、何も教えてくれませんでした。

弟が亡くなる前に受けていた訪問介護と同行支援を受けたいとケアマネージャーに言ったのですが、それも駄目だと言われ2020年にケアマネージャーの提案で訪問リハビリを受けるまでは何のサービスも受けられず、ケアマネージャーが家庭訪問に来るだけでした。

2025年10月17日金曜日

医師とケアマネージャーは助けてくれないというお話5

 藤山糖尿病・代謝内科を受診した2019年8月28日は退院させられるとは思っていなかったので、雨の降るなか砥部町から自転車で行きました。森松から南高井病院に行くバスはあるのですが、便数が少なくて待ち時間が多いので自転車で行く方が早いのです。

自転車を置いたまま退院して砥部町に帰って来たので、翌日の8月29日にバスで南高井病院に行ったのですが、何と鍵を持って来るのを忘れていました。帰って鍵を持って来るとなると時間がかかるので鍵のかかっている後輪を持ち上げて森松バス停まで行きました。途中土砂降りになりカッパを着ましたが蒸して大変でした。バスで砥部町まで帰り、夕食を食べさせた後にまたバスで森松バス停まで行き自転車に乗って帰りました。

運転免許は失効しているし車もなく、買い物に行く唯一の移動手段が自転車なので早く取りに行く必要がありました。

退院してから4日目の8月31日、暑いので開けっ放しにしていた勝手口から妹が転落してしまいました。トイレだと思ってそのまま前に進んでしまったのだそうです。以前なら勝手口から出て犬と遊んでいたりしたのですが、約4ヶ月間家を離れていたので認知能力が衰えていたのでしょうか。50cmくらいの段差があるところを無防備で転倒してしまったので大事になってしまったと焦りました。

昼近かったので昼食を取らせて救急車を呼び、平成脳神経外科病院へ行きました。幸い大怪我はしていなくて、頭のたんこぶと足の靱帯損傷でしたが入院することになりました。入院は嫌だとぐずったので私も付き添いでいることになり個室に入りました。



2025年10月16日木曜日

医師とケアマネージャーは助けてくれないというお話4

【元施設職員を逮捕】老人介護施設で女性2人が血を流し死亡 現場で何が 埼玉・鶴ヶ島市


医療や介護に携わる人間の多くは使命感を持って働いているというよりは、楽して給料だけもらえれば良いという考えなので、こういう事件が時々起こるのでしょうね。

退院は自宅の調査と会議後の9月になると言われていたと思いますが、2019年8月28日に南高井病院に言われるままに藤山糖尿病・代謝内科に妹を連れて受診しました。妹は南高井病院に戻りたくないと言い、藤山糖尿病・代謝内科からは出入り禁止だと南高井病院に電話されていました。

駄々をこねて大変でしたが何とかタクシーに乗せて南高井病院に戻って来ました。そこでもなかなかタクシーから降りないし、降りても病棟へは戻りたくないと地面にしゃがみこんでしまったので、病棟へは戻らないとだましてストレッチャーで病室へ戻りました。精神科の治療がなされていなかったからかどうかわかりませんが、異常な精神状態でした。

南高井病院に戻って来なかったら逃亡になると地域連携室の職員に電話で言われていたのに、戻って来たらいきなりもう退院だと言われ念書まで書かされました。念書には書かれていませんが、二度と来るな、出入り禁止だと言われました。



簡単なインスリン注射と食事のカロリーの説明を受けて退院となりました。数日前までは病院には責任があるから、退院してもちゃんと生活できるか自宅を調査して会議をしてから問題がなければ退院になると言っておきながら、手のひら返しの言動でした。

今考えれば救急車を呼んで他の病院に行っていれば良かったかもしれません。それでも入院できずに帰されたかもしれませんが。



2025年10月15日水曜日

医師とケアマネージャーは助けてくれないというお話3

 妹は南高井病院には居たくないが、介護施設には入りたくないということで、取り敢えず他病院へ転院したいと希望していました。私が初めて面会に行った日、外来がなく寝たきりのような老人ばかりが入院している病院というのもあるのか雰囲気が悪く、看護師も親切ではありませんでした。私に妹の世話なんかできるわけがないと看護師にどなられたこともありました。

南高井病院には内科の主治医一人しかいないのか他の医師を見かけることはありませんでしたし、今まで診てもらっていた精神科、心臓血管外科、脳神経外科の治療はされていないようなので転院した方が良いと思いました。



主治医に言うと診療情報提供書は書かないから勝手に転院先を探せと言われました。砥部町社会福祉協議会のケアマネージャーに頼むと転院先を探すことはできないと断られました。

妹は南高井病院には居たくない。南高井病院は介護施設に移したいが、転院するなら診療情報提供書は書かないということで八方塞がりになりました。外来ならともかく、転院となると診療情報提供書なしで受け入れてくれるところはないでしょう。

迷った末に仕事を辞めて砥部町の実家に帰り、妹と住むことにしました。退院前には病院の職員が自宅を訪問して生活できるか調査をして、その後会議をして問題がなければ退院になると言われました。

2025年10月14日火曜日

医師とケアマネージャーは助けてくれないというお話2

 両親が亡くなった1992年以降、弟は妹と同居して妹の面倒を見ていました。妹が失明してからは弟がインスリン注射をしていました。その弟が2019年に亡くなってしまい、注射をしてくれる人や食事を用意してくれる人がいなくなりショートステイセンター超(松山市東方町)を経て南高井病院に入院しました。

南高井病院入院中に何度か面会に行きました。妹は退院して、私と一緒に暮らしたいということでした。私は大阪市のワンルームマンションに住んでいて、同居するとなると新しく部屋を借りないといけないし、仕事も辞めないといけないかもしれません。大阪市や松山市の相談窓口で相談しましたが良い回答は得られませんでした。

南高井病院としては介護施設に入れたいようで、受け入れてくれる施設を探していると言っていました。私も大阪市で、または家のある砥部町に引っ越して妹の世話をするかすぐには決められませんでした。

医師とケアマネージャーは助けてくれないというお話1

 妹は私と5歳違いで1964年に生まれました。弟二人が生まれた時のことは覚えていませんが、妹の生まれた日のことは覚えています。

中学校に入るまで私は風邪を引いたりおなかを壊したりして、良く病院に連れて行ってもらう、あまり丈夫な体ではありませんでした。それに比べて妹は丈夫だったという記憶があります。

それが妹が小学校6年生の秋、1975年だったと思いますが、風邪のような症状で美川診療所に連れて行ったそうです。美川診療所はいつ頃できたのか覚えていませんが、美川村立の診療所で私が中学生の時にはまだなかったような気がします。

風邪のような症状が良くならないので松山市の土橋共立病院へ連れて行ったそうです。そうすると糖尿病だからを愛媛県立中央病院を受診するように言われ、当日受診したのか翌日受診したのか記憶がありませんが、受診したその日に入院したように記憶しています。

その時から藤山糖尿病・代謝内科へ変わっての1975年から2019年の44年間、同じ医師に診てもらっていたのではないかと思います。


愛糖協会報2022年2月号

その間に糖尿病性網膜症で失明しました。医師は一度も眼科を受診するようにとは言わなかったそうです。2019年5月から南高井病院に入院し、入院中の8月に藤山糖尿病・代謝内科を受診するようにと言われたので、妹を連れて受診しました。

妹は南高井病院に入院しているのは嫌だから転院したいので病院を紹介して欲しいと訴えましたが拒否されました。それどころかもう二度と来るなと南高井病院に電話していました。